46回転職した男の話し⑤
パブ・バーディ
わたしは、フィリピンラウンジが、当面、お店を開けないと、いうことに、なったので、ママが、持っている、もう1つの、お店で、働く事に、なりました。
田舎の小さな、7人ぐらい、お客さんが、入るといっぱいに、なりそうなお店パブ・バーディです
そこは、日本人女性が、働くお店で
2人の女性が、働いていました
1人めは、20才で、顔が猫っぽくて、少し、目細いですが、凄く、スタイルが良くて
今でいう、韓国アイドルみたいでした、なんか、凄いなーと、思いました。リカさんといいました。
(実名で、すいません)
2人目は、中肉、中背で、あんまり、可愛くないですが、明るくて天然な、感じの女性でした。ゴユミさんと、いいました。
田舎の、小さなあまり大きくないこのお店は、あまりお客さんがこないので、よくお店のカラオケで、みんなでよく遊んでいました
お客さんの、ボトルキープも、隠れて、少しずつもらい、結果、吐くまで飲んだりする日もありました
それが、お客さんに、ばれて怒られ⚡てからは、ママが、お客さんの、お酒を、盗まないというのを、約束として、缶ビールを、いっぱい、買ってくれて「これを、飲みなさい」と、言われました。
それからは、やはり、毎日吐くほど飲んだので、ここの、お店のおかげで、お酒🍺が、強くなった気がします。
ここで、知り合った
リカさんという、女性は、実家が、お茶農家🍵で、凄く、田舎に、ありました
お店や当時、住んでいた家も、たいがい田舎だったのですが、ジブリの世界の田舎を、もっと、田舎にしたのうな田舎でした。
それが、嫌なのと、母親が、嫌いという事で
家出を💼して、ママと一緒にすんでいたので
一緒の、アパートの、一番右に住んでいた自分にも
残った、ピザ🍕やお鮨🍣を、もってきて、くれたり
ご飯を、作ってくれたり、する日も、ありました
母親以外に、初めて作ってもらった料理は、
今でも忘れませんが、リカさんが、作ってくれた
大根と揚げと鶏肉を、炊いたやつでした
本当に、ビックリするほど、美味しいかったです
わたしは、どんどんリカさんが、気になるように、なりました。
編集中
46回転職した男の話し④
フィリピンラウンジ
お肉屋さんを、退職したあと
夜間の工業高校にも、通うのが面倒くさくなり
よく、近所をプラプラしていました
私は、田舎の38,000円の、ボロアパートの、一番右の部屋に、すんでいました。
一番左の部屋に、時々あっては、挨拶する
派手な、おばちゃんが住んでいました
その、おばちゃんが
近所で、場末のスナックを、経営していたんですが、今度、フィリピンラウンジ🍸を、やるので、
「プラプラしてるんだったら、うちで、
働かないか?」と、言うのです
私は、とりあえず
暇だったので、働く事にしました。
フィリピンの、女性の方々のが、名古屋から、
来るらしく
それまでは、借りたばっかりの、物件を掃除したり
グラスを、揃えたりする、ことからスタートでした
3人の、フィリピン女性が、やってきました
1人は、小柄で凄く笑顔が、かわいい明るい
20才ぐらいの方でした(エミさんです)
2人めは、細いけど、胸が大きく、口が大きくて
なんか、妖艶な感じの、22才ぐらいの、
方でした(リオさんです)
3人めは、体格が、いいけど、スタイル抜群で、
声が大きくて、肝っ玉母さんみたいな、28才ぐらいだったと、思います(マリアさんです)
ちなみに、私はこの時17才でした
3人とも、凄い良い、方たちで、全然、ご飯を食べてない自分を、3人が、住んでいる寮に、呼んでくれ
フィリピンの、現地料理を、よく振る舞ってくれました、あんまり美味しくなかったのですが、助かりました
店が、始まった初日に、小柄でかわいいエミさんが、
凄く、困った顔でなんか、言っています
フィリピン語なので、まったくわかりません??
わたしは、バリバリに、日本語しか、解らないのですが
中学生英語の
エキスキュウズミーと
アイキャンスピーク.イングリッシュ.ア.リトル
だけ、何故か知っていました
というわけで、半分やぶれかぶれで
アイキャンスピーク.イングリッシュ.ア.リトル
と、言ってみました
すると、次は、英語で、おもいっきり、嬉しいそうに、いっぱい、言われましたが、まったく、解りません
もちろん、
まったく、解らないので
ジョーク.ジョークと、言ったと思います
そしたら、ぶちギレられました、本当に、恐かったです
その時、本当に、困っている人に、対して
面白半分で、嘘は、ついたら、いけないな、と
思いました
本当に、怖かったです
それから、回りのスタッフも、親身になって、聞いたのですが、全く解りませんでした
営業終わり
やっと、困っていた理由が
解りました...
大事なメガネを、無くしたんだと
マリアさんが、教えてくれました
「横山やすしかっ」と、
小柄でかわいいエミさんに、思わず
大声で、言いました。
エミさんにも、伝わらず
マリアさんにも、伝わりませんでした
言葉って、大事だなと、しみじみ思いました...
それから、1ヶ月後ぐらいに、
新しいチーフ(男性)が、入ってきました
その方は、見た目が、K1選手のジョロムネバンナと、いう選手が、いたのですが
その人を、一回り小さくしたようなドヤンキーでした
(日本人)凄く、改造した車に乗って、
格闘も、好きらしく空手を、ずいぶん長いことやっているらしく、何かしら有名な、空手の段持ちで、証明カードも、見せてもらいました
しかし、凄く、話しやすく、
わたしは、大好きでした
初日から、よくお店にも、なじんで、
特に、妖艶な色気を、もったリオさんと、よく話していました😊
わたしは、当時、車の免許も、なかったので
女の人たちの、送迎やアフター仕事が終わってから
ご飯に、連れていってあげたりと
仕事も、テキパキと、がんばっていました。
ところが、
1週間ぐらいすぎて、突然こなくなりました
わたしは、何故か、わからなかったので、ママに、聞くと、「嫁に、リオとの浮気が、ばれたんやで」と、
言っていました
??リオさんと?
まだ、1週間なのに?
なんか、せっかく、後輩が、できたのと、
話しやすかったで、凄く、残念でした😢
それにしても、1週間で、浮気して
ばれるって、展開が、早すぎや、しませんか?
リオさんも、ママに怒られてましたが
ジョロムネバンナも、嫁さんに、そうとう怒られたことでしょう
あんなに、強そうでも、嫁には、勝てないもんなんですね😊
*わたしも、この先、浮気をして、離婚することに、なります(この当時は、独身です)また、後日お話しします
田舎のフィリピンラウンジは、
あまり品がいいとは言えません、店にも、よると思いますが、
うちの店は、トップクラスで、品がなかったと、
思います
そんな店の、お客さんも、やはり、荒っぽいひとが、
多いです、お客さんが、全員、ニッカポッカだったりと、
私は、皆さん、大好き🍀😌🍀でしたが
そんな、なかの、
お客さんの、話をしたいと、思います
わたしが、好きな、お客さんの、1人に
ヤクザのマーちゃんと、いう人がいま
した
この人は、ママの知り合いの、ひとりでした
みためは、スキンヘッドで、28才ぐらいの、
方だったと、思います
オチャメなマーちゃんですが、過去が、なかなかの、
ハッスルぐわいで、酔っぱらった🍺😵🌀マーちゃんは、17才の、わたしに、色々話してくれました
まず、なぜ、
ヤクザに、なったかと、言う、話をしてくれました
まだ、マーちゃんが、若い頃、よく飲みに行く
スナックが、あったそうです
そこで、好きな、お店の女の子が、できたらしく
凄く、通っていたそうです
そこに、嫌がらせにきた、ヤクザの人が
その、女性に、ちょっかい、出し続けるのを、見て、
切れてしまった、マーちゃんは、お店で、大乱闘になり、相手は3人だったらしいのですが、その、1人を、包丁🔪で、刺してしまったらしいです
なぜ、包丁🔪を、その時、持ってたのかな?
と思ったので、なんでか、聞いたら、マーちゃんは、
「包丁は、昔、いつも持ち歩いてたよ🔪」と、いっていました
その、話は、何故か?ママも知っていて
店の、内装が、ほとんど、つぶれたよねって、言っていました
その、事件で、
素人の、マーちゃんを、相手の親分みたいな方が、
気に入って、刑務所から、出てきた、マーちゃんを、スカウト💪したと、言っていました😊
ある日、マーちゃんに、なんで、スキンヘッドなの?
って聞いたら、それも、ちゃんと、説明してくれて
「覚醒剤💉を、すると、禿げるんだよ、だから、スキンヘッドの人は、だいたい、覚醒剤💉してるんだよ」
と、言っていました、17才の、私は、鵜呑みに、してしまい。まあまあ、最近まで、信じていました
マーちゃんいわく、覚醒剤を、すると、お腹が、減らなくなって、1日一回、カップラーメン🍜を、食べるぐらいで、大丈夫なんだよと、言っていました
あーハゲルナと、思いました
よく、マーちゃんには、「アルバイトしないか?」と、誘われました
刑務所生活が、長い、おじさん達は、女性と触れ合う事が、なくなるので、男の子👦が、好きになる人が、増えるらしいです。
特に、若くて、可愛い子が、良いらしく、17才でピチピチだったわたしに、いっぱい小遣いもらえるから
『おじさんと、一晩一緒にすごして、10万円とか、もらえる、お仕事が、あるのだけどやらないか?』という、お誘いが、ありました
わたしは、当時、ごはんを、全然食べれていなく、
すごく、貧乏🈳😢👛でした
よく、お店のチャーム(おかし)を、隠れて食べまくっている姿が、マーちゃんが、とっても、可愛らしいかったと、言っていました
この頃は、人生で、一番、お金がなかったので、チキンラーメンを、3日間に、わけて食べたり
よく、マクドナルドⓂ🍔🍟のお店の、うらに捨ててある、ポテトの🍟残飯を、食べたり
一回だけですが、お葬式のあった、家を見つけて、
人が、いなかったのを見計らい、食べ残された、仕出しの料理を、詰め込むように食べては、逃げたりしていました。
今から思うと、そこで食べた、エビフライ🍤の、食べ残しが、一生で一番、美味しいかったです。
時々、アフター(食事)にも、ついていき
中華料理屋さんに、行ったり
マーちゃんには、一度、洋食屋さんに、連れていってもらい、オマールエビを、半分に切って、チーズを、乗せて焼いたやつを、食べさせてもらいました
その頃の、食事は、目をつぶれば、すぐに蘇ってきます😊
おじさんと、一晩一緒に過ごす、アルバイトですが、
お金は、凄く、魅力的でしたが
どう考えても、想像したとき、気持ち悪かったので、
『気持ちが悪いので』と、断りました
もし、おじさんアルバイトを、していたら、まったく、今、ちがう自分になっていた気が、します.....
わたしが、お休みの時に、事件はおこりました
内容はというと、マリアさんのお客さんを、リオさんが、体👩を、使って、とってしまったと、いう事でした
リオさんと、良い関係に、なったお客さんは、
チップや💴
時計や⌚や
18金のネックレスを、リオさんに、ばっかりあげるように、なり
同伴やアフターを、リオさんと、しっぽり行くようになり、ついに、マリアさんは、切れたとの事でした
営業中🈺に、フィリピン語で、口論になり
切れた、マリアさんは、ビンビールを、半分に割って
リオさんの、肩を、刺してしまったと、聞きました
体格の良い、マリアさんは、割れたビンビールを、
振り回し、とめに入った、お客さんにも、怪我を、させてしまったと、聞きました。
そのあと、色々すったもんだが、あったらしく
わたしにも、連絡があって、女の子が、足らないので
当面、フィリピンラウンジの方は、お休みすると聞きました
わたしには、その間、もうひとつ、パブをやってるので
そちらに、お手伝いに、いってほしいと、言われました
わたしは、フィリピン女性の、方々には、とても、お世話になったので、とても、心配でした
この、お店では、8ヶ月ほど、働き
次の、お店で働く事になりました。
46回転職した男の話し③
まつばらキムラ(お肉屋さん)
私は、父親が大嫌いです
いまでも、嫌いです
父親の、口癖は「家に、おらしてもらってるだけ、有難いと思え」でした。
ビール製造工場での、アルバイトで、貯金は40万円ほど、貯まっていました
私は、早く実家から、出たいと、思っていたので
その、お金でアパート🏠を、借りました
今よりもっと、田舎に借りたので家賃は
38,000円でした
求人雑誌を見て
賄いつき🍚が、良いと、思ったので
お肉屋さんで、アルバイトすることに、
しました
自分の、担当は、
お客さんから、お肉を、なんグラムかの
注文を、聞いて、計量して
お客さんに、渡したり
安いお肉を、タレで揉みこんで、味付けにしたり
倉庫に、カットする前の、チャックリブ
リブロース等々、お肉をとりに、行かされる
お仕事でした
賄いは🍚凄く美味しくて
時には、社長が、自分の家に、呼んで
ご飯たべてさせてくれたりしていました
とても、有難かったです
倉庫には、銀色の、箱に入った
ハムやソーセージが、たくさんあり
それも、よく、盗み食いしました
その頃の、自分はまだ、シンナーを、
吸っていたので
朝から、シンナーを、吸って
意識が、ある程度確りしてから、
仕事には、でていたんですけど
お客さんから、クレームが
沢山出たらしく
クレーム内容は、目つきが悪い
グラムが、メチャクチャだったみたいです
ほんとに、恩を仇で返すとはこの事ですね
たしか、3ヶ月ぐらいで、辞めたと
思います
46回転職した男の話し②
某ビール製造会社
私の、住んでいるところは、わりと田舎で、
自然も多く、水も美味しいと、有名の、ようです
引っ越しを、辞めてから
ビール製造会社で、アルバイトを、はじめました
ここでは、まず、お中元にだすビールとジュースの、
ギフトセットの、詰め合わせから、始めました
まだ、相変わらす景気も、良くて
残業🌙🏢すると
中華弁当や
和風弁当や
パン🍞を、3つ選べたりしていました
とっても、美味しいかったのを、覚えています
ギフトセットの、詰め合わせ作業は、
ひたすら、段ボールを、組み立てたり、
ひたすら、箱から缶をだしたり
ひたすら、缶を化粧箱に、入れたりしました
夏と冬だけなので、私は、夏にはいったのですが、
夏も終わり作業が、なくなったので
次は、洗浄作業に、移りました
そこでは、瓶ビールは、機械で洗浄された
箱を積み上げたり、割れてないかチェックしたり
しました。
樽のビールは、差し込み口にカビが生えていないか
座ってチェックすると、いうのをしていましたが
だいたい、寝てすごしました。
次は、樽のビールに、ビニールの輪をかぶせる
という、仕事をしました
みんなで、競争しながら、誰が、一番早くできるかと、競争したり楽しかったです
晴れて☀いる日は、外での作業も、多く
近くに流れている、どぶ川で、ザリガニをとったり
先輩は、ミミズを、いっぱい集めて、瓶にいれたり
していました、あの人は、何をしていたんで、
しょうね?
でも、とても、楽しかったです
年に2回ほど、お祭りもあり
できたての、ビールを、1杯50円だったか?
無料だったか?で、配っていました
私たちは、その日は、飲みながら仕事でしたので、
帰りはみんな、ベロベロでした
たいがいみんな、飲酒運転🚗💨で、帰っていたと、
思います
時代と、いうのは、恐いですね
でも、本当に、よい時代だったと、思います。
その、お祭りも、景気も、悪くなり
飲酒運転も、うるさくなったので、なくなってしまいました
そりゃ、そうですよね😢
*余談ですが、この仕事を、しながら、
夜間の工業高校前に、いきはじめました
この定時制の、お話しは、また後日していきたいと、思います
ある日、朝起きると、
まわりの、本棚や食器棚が、全部倒れるほど、
家が揺れています
神戸大震災です
その日も、会社に行きました
積み上げられた、商品は、すべて倒れていました
特に、瓶の商品は、壊滅的でした
工場組と、
貯蔵倉庫組に、分けられ
わたしは、貯蔵倉庫に、いきました
何㌧もの、瓶ビールは、割れていて
何日間にも、わたって、スコップで、集めては
バッカンに、いれました
売れなくなった、ジュースの、ペットボトルを、箱ごと、いっぱい頂きました
今と、なったら、良い想いでですが
震災は、本当に、恐いと思いました
この、会社には、1年と、少しいたと思います
46回転職した男の話し①
〇〇〇引っ越しセンター
初めて🔰はたらいたのは、白と黒の動物で、お馴染みの、引っ越しセンターで、働きました
あの頃は、16歳で、まだ電車のなかで、タバコ🚬が、
吸える時代でした、その頃の、引っ越し業者は、何処も、一緒だと思いますが、働いているのは、金髪ヤンキーか、たんなる力自慢が9割でした、まあ仕事も、荒く
4階建ての、エレベーターなしの、マンションなどの、引っ越しでは、3階ぐらいから、軽い荷物などは、投げたりしていました
下で、受け取るひとも、なれたもんです
あの頃は、また、よい時代で、給与とは、別にお客さんから、寸借(すんしお金ですね)を、もらったり
良いときで、給与+7,000円てことも、ありました
そんな、お客さんの、荷物は、物凄く丁寧に、あつかいます
まさか、割れた食器など、川に、投げ捨てたりしません
嫌な、お客さんの、食器や、壷は、隠したり
川に、投げ捨てたりされます、そんな、時代でした
でも、従業員は、みんな、気さくで、やさしかったなー
日生学園第二高等学校と、いう、高校を、退学に、なり、始めて、やった、アルバイト💴でした
日生学園第二高等学校は、ダウンタウンの、浜田さんが、卒業した、全寮制の、学校です
*同校退学の、話しは、また書いてみます
46回転職した男の話し(実話です)
人は、何回ぐらい転職したことが、あるのでしょうか?
パソコンで、調べたら
平均2~3回らしいです
私は、いままで、46回転職しました
そんな、会社での、出来事を赤裸々に、細々と、
書いていきたいと、思います
そして、
46回も、転職すると、どんな人生が待っているのかも....